お前、いちびりやな。
言われた瞬間、むかっとくる。たいだい、いちびりって何やねん。調子に乗る、ふざける、目立ちたがる。標準語に訳せばそんなところだろうが、どうもしっくりこない。関西弁特有の、あの刺さり方は翻訳不可能だ。
なぜこんなにむかつくのか。考えてみれば、ちびりが入っているからかもしれない。ちびる。漏らす。恐怖で下半身のコントロールを失う、あの生理現象。何かに恐れ慄いた時、尿意が襲ってくるのは人類共通の体験ではないか。動物的で、恥ずかしくて、隠したい身体の真実。
いちびりと形容されることは、なめられるという実感に直結する。こうやって書いているだけで嫌になる。別の言葉に置き換えられないかと思っても、なかなか難しい。いちびりという音の持つ侮蔑性は、ちびるという身体性が、どこかで響いているのではないか。
でも待てよ。臆病であること、ビビることは、人間にとって素敵な態度ではないか。恐れを知っているから、慎重になれる。石橋を叩いて渡る。丁寧な暮らし、なんて言葉があるけれど、丁寧に生きているから、ちびるのではないか。何を書いているのかわからなくなってきた。でも、わかったことがある。
僕は、いちびりであり、ちびりであり、びりであり、そこにりがある。
言葉を削ぎ落としていくと、最後に残るのはりという音。
理(ことわり)。
でも、だいたいいつも、ずれる。ずれるから、恐れもするし、調子にも乗る。
り、が人間を人間たらしめている。僕はちびりながら生きている。