小川のほとりを歩きながら、音のテクスチャーを聴き分けて、スケッチしてみるーー確か、そんなお題だった。秋に参加した音と食のイベント『音欒 – OTOMARU』でのワークショップのこと。
大きな音ばかりに耳を寄せてしまうという身体の現実に驚く。動物の本能としては当たり前のことだけど、なんというか、そのチューニングが聴くことの豊かさを奪っている。今度は意識して小さい音に耳を寄せて、場所を変えて聴いていく。するとだんだん、小さな音の表情を感じ取れるようになってくる。
「意識して聴く」体験をしながら、音の地図をつくるようにスケッチする。空間のどの位置に、どういったボリュームやテクスチャーで音が存在しているのか。スケッチすることで、そのことに気づいていく。面白いの語源は、「目の前の風景がぱぁっと白くなる現象」のことだとどこかで読んだが、まさにそんな感じ。
ワークショップの後に、神社の境内に移動して、音楽家の演奏を聴きはじめると、耳が変わっていることにまた驚く。焚き火の音、仲良く座って遊んでいるおかっぱ頭の姉弟の声などが粒立ったまま聴こえ、演奏と重なり合っていく。その光景を眺めていると、植田正治の写真集に出てくる子どもたち、相米慎二の『お引越し』に出てくるレンコ、『地下鉄のザジ』の少女ザジなど、記憶のなかで生きている、あのおかっぱ頭たちが、現実のシーンにオーバーラップしはじめた。
目線を上げると抜けには空いっぱいに広がったちぎれ雲がゆっくりと移動している。演奏とは無関係な存在が、ひとつながりになっている。