旅先で散髪屋を見つけると、髪を切らずに顔だけ剃る、という友人がいる。「髭だけでいいんです」と言うと、理髪師はたいてい「へえ」と少し驚く。それがいいんだ、と彼は笑った。剃られている間に地元の情報を聞き出し、店を出る頃には一杯やれる場所も手に入る。旅の作法として、じつにいい。
ぼくも試してみた。椅子に座り、ケープを巻かれ、顔に温かいタオルを乗せられる。表面のこわばりが、少しずつほどけていく感覚。そして、顔を剃られる。というより、顔ごと整えられていくような時間だった。視線は自然と、鏡の脇にある棚へ向かう。ポマード、剃刀、手鏡、スプレー。使い込まれた道具たちが、無言の脇役のように並んでいる。きれいに整っているけれど、少しズレた瓶の位置や、使いかけの刷毛に、どこか人のクセが滲んでいて、安心する。時には、店主の身の上話を聞くこともある。息子の話、昔のバンド活動、離婚したこと——まるでラジオ身の上相談のように濃い話が、刃の音と一緒に耳に届く。
こちらはほとんど何も話さず、ただ静かに、整えられていく。鹿児島の散髪屋では、湯豆腐の店を教えてもらった。小ぶりの魚を一夜干しにして炙ったものがあって、うまかった。髪を切るでもなく、喋るでもなく、ただ顔を剃る。名前を忘れた魚とともに、その時間のことだけが、ふわりと残っている。そんな旅が、ちょうどいい。