ジム・ジャームッシュの映画『パターソン』には、特別なことは起こらない。小さな町で市バスの運転手として働く主人公は、毎日ほとんど同じ時間に起きて、同じようなルートを走り、家に帰り、夜はビールを一杯だけ飲んで寝る。けれど、その日々の繰り返しのなかで、彼は静かに詩を書き続けている。
ある朝、彼はマッチ箱を見つめて、詩を書く。ただそこに置かれていたマッチ箱が、記憶や感情の結節点になっていく。
映画の中には、棚があったような気がする。いや、正確には思い出せないけれど、テーブルの上や壁際に、何かが置かれているイメージが朧げに浮かんでいる。マッチ箱も、そうした「置かれている」もののひとつだった。ただ背景として沈んでいくのではなく、気づきのきっかけになり、詩の入り口になっていた。
棚は、何かに"気づく装置"のようなものだと思う。
静かな暮らしの中で、ふと置かれたマッチ箱が、何かを語りはじめる。そこに憧れが生まれるかもしれないし、諦めが置かれるかもしれない。どちらでもいい。ただ、「棚」があることで、その静けさが少しだけ輪郭を持つ。何も起きていないように見える日々の中に、確かに何かが置かれていく——それに、少しずつ気づいていく。