「人間って、男女に別れる前の未分化だった時代があってね。男の乳首がその名残りなんだよ」
近所の居酒屋で割と酔いが回ってきた頃、隣の席からふとそんな会話が耳に入った。目をやると、力士のような見事な体躯の老人が、自らの乳首あたりを撫でている。その途端、目の前にいる友人の声が遠のいた。「男の乳首の役立ち方」について一瞬考えはじめたが、何も思いつかない。考えるだけ無駄な気がして、すぐにやめた。
私が銭湯通いを好むのは、湯の気持ちよさに加えて、そこに集う人々の体を観察するのが面白いからでもある。例の居酒屋の翌日、いつものように銭湯へ向かった。湯船に浸かりながら、様々な男たちの乳首を眺めているうちに、ある逆命題に思い至った。「役に立たない」からこそ、存在理由があるのだと。この役に立たない2つのポッチが、なんとも愛らしく見えてくるから不思議だ。見れば、どれひとつとして同じ乳首はない。
そう思った矢先、また逆のことも考えてしまう。「もしかしたら、これから進化して何かの役に立つのではないか?」だが、すべてを「役に立つ」という引力に引き戻してしまうのは、あまりにつまらない思考ではないか。湯の中で、私はそう思った。