長年の友人Kくんは、出会ったときから髪型が変わらない。シャツも靴も、一度これと決めたら、頑ななまでに変えようとしない。 髪型や服装をころころ変える僕にとって、その「変えなさ」は謎めいて見え、かすかな憧れすら覚える。
人間の細胞は数ヶ月でほぼ入れ替わるらしい。じゃあ、「その人がその人であること」は、一体何が支えているんだろう。 記憶だと言う人がいる。細胞がごっそり入れ替わっても、昨日までの記憶があるから「自分」は揺らがない、と。 でもそれは自分の話だ。ろくに会わない他人にとって、「その人らしさ」の記憶なんて、たいしてたよりにならない。
もしかしたら、他人の目に映る「その人らしさ」の輪郭は、ほぼ「みてくれ」で決まるんじゃないか。 軽薄な言葉にも聞こえるが、案外、本質を射抜いている気もする。だとしたら、「他者から見た自分」を保つために「みてくれ」を変えないのは、ごく自然な生存のための戦略だ。
Kくんのあの揺るぎなさは果たして天然なのか戦略か。周りや流行に自分を合わせるんじゃなく、自分の「輪郭」を外側からがっちり固めることで、あえて自由になる。——あのやり方で。