東大寺の大仏殿の柱には、大きな穴が空いている。子どもたちが行列をつくり、その穴をくぐっていく。大仏の鼻の穴と同じ大きさだという。つまりみんな、鼻の穴を通り抜けていくわけだ。縦の直径はおよそ30センチ。大人が通るには少し狭い。
通る人を見ていると、肩をすぼめたり、片足を先にねじ込んだり、途中で詰まっている人もたまに見かける。いつかの肩が引っかかった瞬間の、あの“ぞわっ”とした感覚は、いまだに残っている。「通れる」「通れない」という単純なことが、こんなにも身体と空間の関係をスリリングにするのかと。
サイズというのは不思議なもので、数字よりも身体の記憶でできている。椅子に座ったときの背骨のあたり、Tシャツを着たときのだぶつき。そうした感覚ごと、サイズは身体化される。暮らしの中の寸法は、鼻の穴をほじったり、くぐったりするようなーー身体的な経験を通して、いつも測り直されている。
あの穴をくぐる子どもたちは、ただ遊んでいるだけに見えて、実は世界のスケールを高速でインストールし続けている。そういう視点で見ていると、子どもたちの一挙手一投足が、得難い発見の連続のようにだんだん思えてきて、つい目が離せなくなる。