映画を観ていて、ふと「手」に目がとまることがある。台詞よりも先に、指先が気配を語っているような瞬間。感情が言葉になる前に、かすかに触れる、あるいは触れずにとどまる。そうした“ためらいのある動き”を意識するようになったのは、ある映像を観たことがきっかけだった。
『Hands of Bresson』という映像エッセイがある。ブレッソン作品に登場する手の動きだけを、ひとつのリズムとしてつないだものだ。それは沈黙の詩のようでもあり、祈りのような反復でもある。持ち上げる。受け取る。抜き取る。置く。こぼす。重ねる。
手が動き、触れることで、映像に感情やリズムが宿っていく。そして、手が離れたあとにも、触れた記憶が残る。組み立てるとき、置き換えるとき、あるいは何かを飾るとき。棚は、そんな指先の流れとともにある。決められたかたちに従うのではなく、手の動きに導かれるようにして、その姿が少しずつ立ち上がっていく。
理解しようとすることの、もっと手前にある行為。なかったことのように、何かがすっと抜き取られていく。その静けさに、なぜか強く心を掴まれる。触れていた時間だけが、あとに残っている。